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    中島裕之
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    アスレチックスとのメジャー契約2年間のMLB挑戦を終え、中島選手がオリックス・バファローズと契約。

    残念ながらメジャーリーグの試合へ出場することは叶いませんでした。


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    松坂大輔
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    メジャーリーグで8年間を過ごした松坂選手が福岡ソフトバンクホークスと契約しました。
    日本球界に帰ってきます。


    松坂大輔が日本へ


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    黒田博樹
    記事に出来ていなかった、黒田選手のMLB時代の話題を紹介します。
    2012年シーズン後の記事に対する話題です。



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    http://nesn.com/2012/10/hiroki-kuroda-really-doesnt-enjoy-playing-baseball-but-hes-ready-for-the-playoffs-anyway/

    水曜夜の勝利で、ニューヨーク・ヤンキースはア・リーグ優勝を掴んだ。
    そして彼らは、それほど野球を楽しめない投手にボールを託すことになる。

    結果がどうなるかは時間が教えてくれるだろう。
    ともあれ先日ヤンキースの先発投手、黒田博樹は野球の試合について興味深く語った。

    「正直に言うと、野球を楽しめたことがないんだ。」
    彼は通訳を介して語った。
    「ピッチングも楽しめたことがない、正直に言うと。
     春季トレーニングの試合であろうと、シーズンの試合であろうとね。
     自分にプレッシャーが掛かるのは好きじゃない。
     平常心でいることが好きなんだ。」

    ニューヨークの雰囲気が黒田をそうさせているわけではない。
    単純にマウンドの上に登ることが彼をそうさせている。


    「ヤンキースだからではない。」
    タイムズ紙に彼はこう語った。
    「私のプロ人生を通してみると、
     先発投手には大きな責任が存在する。
     自分が楽しむことよりも、自分の責任を果たさねばならない。
     私はそれが最優先事項だと思っているんだ。」

    もちろん、ヤンキースで地区優勝に貢献することなど
    彼が日本での野球人生で耐えてきたことに比べれば大した事はない。

    「プレーするためには、生き延びなければならなかった。」
    7月、黒田はニューヨーク・タイムズに語っている。
    「生き残り、プレーするために、我々は耐性をトレーニングしてきた。」

    そう、プレーするために生き延びることに比べれば、今度の試合は重要な事ではないかもしれない。
    どうあれ、黒田にはその挑戦を受け入れるための準備ができている。




    以下、この記事の反応


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    黒田博樹
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    プロ野球広島は27日、米大リーグのヤンキースからフリーエージェント(FA)となっていた黒田博樹投手(39)の獲得を発表した。資金力が豊富なメジャー球団との争奪戦をくぐり抜け、元エースを復帰に導いた。
     「8年ぶりに背番号15が復活いたします」。報道陣への球団発表に、この一文が付け加えられていた。広島は2007年オフに海を渡る決断をした黒田の背番号を、この日が来るのを信じ、ずっと空き番にしたまま待っていたのだ。
     交渉役の鈴木清明球団本部長の思いは執念に近かった。メジャーの巨額の条件提示の報道に心が折れそうになりながら、「1%でも望みがあれば諦めない」と、必ず毎年オフになるとオファーを出した。そして、ついに前日の26日、電話で黒田から「帰ります」との連絡を受けた。「うれしいを通り越して怖い」と感激した。
     黒田は最高で年俸20億円前後とも言われるメジャーの球団でなく、その5分の1の金額で広島を選んだ。松田元オーナーは「チームの雰囲気、地域とのつながり。懐かしいチームというのかな。そういうのがあるのでは」と推察する。
     黒田はメジャー挑戦の際に「カープのおかげ」と語り、ファンも気持ち良く後押しした。鈴木本部長は「広島から送り出した時の熱意が、彼に届いたと思う」とファンにも感謝した。金額は推定。 

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141227-00000053-jij-spo